ほんの小さなif

歴史のifという言葉がある。もしも歴史上の出来事が起きていたら/起きていなかったら、みたいなワードだ。

もしも十字軍遠征が成功していたら、もしも本能寺の変が起きていなかったら、その後の歴史は大きく変わっていただろう。

本能寺の変が起きなかったら、その後に続く豊臣政権や江戸幕府は無かったかもしれないし、朝鮮出兵がなく明が滅亡することもなかったのかもしれない。

このように、歴史は時間空間と縦横立体的に複雑な事情が絡み合って紡がれていくので、一つの事象が与える影響というものは、計り知れないほどに大きいものだ。

同じようなことは、歴史だけじゃなくて誰かの人生にだって言える。もしも別の学校に合格していたら、もしも今勤めている会社で採用されなかったら、その後の人生はまるっきり様変わりしていたっておかしくない。まさしく人生のifだ。そっちのルートの方が良かったかもしれないし悪かったかもしれない。ただ、その道はありえたかもしれないという事実は残る。

また、歴史と同じように人間関係もまた複雑に絡み合っている。つまり、僕が選んだルートによって誰かが影響を受ける。僕が受けなかったことによって誰かがその学校に入学し、僕が採用されたことによって誰かが不採用になった、そんな風に影響を与え、影響を受けながら生きている。

そしてこれは、何も受験や就活のような人生のターニングポイントと呼べるタイミングだけに限った話ではない。日常の至る所に転がっている。

例えば、僕がコンビニでカップラーメンかカップ焼きそばのどちらにするか迷って、カップラーメンを選んだとする。そのせいで、在庫が一個減り、どうしてもその味が食べたかった人が食べられなくなり、諦めきれなくてラーメン屋を開店するかもしれない。あるいは、その一個のおかげで売上のノルマを達成した人が出世して、会社の経営に携わるようになり、敏腕社長として名を馳せるかもしれない。

別に、何かをするだけじゃなく、不作為であっても同じようなことはありえる。僕がめんどくさがって美容院に行かなかったとして、偶然その時間に予約を取れた人が髪を整えてプロポーズして、見事結婚するなんてことだってありえるのだ。

たった一つの選択が、どんなバタフライエフェクトを生むかなんてもはや分かりようがない。だが、何かしらの影響を自分を含む誰かに与える可能性は十二分にある。そう考えると、一つ一つの決断の重要性が増してくるような気がすると同時に、あらゆる可能性を考慮するなんて不可能だから適当でいいかなという思いにもなる。

ただ、自分が別の選択をしたときの未来、そんなパラレルワールドに思いを馳せてみるのもたまにはいいかもしれない。