I will never say good-by, my love

赤月ゆにが活動を終了する。

そんな予感はしていなかったといえば嘘になる。それなりに覚悟もしていた。

それでも、いざこうして現実に起こってしまうと、悲しいし寂しいし辛い。目にした日は中々寝付けなかったし、ここ数日も上の空で過ごしていた。

 

執着心が極端に薄い僕にとって、ゆに様は初めて推しと呼べる存在だ。こんなに誰かに夢中になったのは生まれて初めてだし、多分この先もないだろう。そんな唯一無二の存在だ。

 

 

およそ1年半前、自分にとって赤月ゆにとはどういう存在か、ということを考えたことがある。どうして自分はこんなにもゆに様を慕っているのか。

その結論として出したのは、「僕の世界を広げてくれるから」ということだった。

我々の周りには数え切れないほど多くの物事があり、それらにはすべて意味があって歴史がある。そしてそれらは互いに関係しあい、作用しあっている。

そんな当たり前だけど見逃してしまうようなことを、ゆに様は教えてくれた。何気なく過ごす毎日の、一日一日に意味があることを教えてくれた。

ゆに様がいなければ、文庫本の紐に思いを馳せることもなかったし、モンスターエナジーのポエムも読むこともなかった。横浜観光でクイーンのひろばに行くことも無かっただろうし、パンチの効いた箱の紅茶を飲むこともなかった。

ゆに様は世界の広さを、深さを教えてくれた。それは、私が勝手に作った私の中の世界の枠組み、その小さな世界をいともたやすく壊し、未知の広大な世界の景色を見せてくれた。

 

これが1年半前に出した答えだった。ただ、これは完璧な答えではなかった。非常に重要で、それでいて当たり前のことを見逃していた。

 

ゆに様は優しいのだ。慈愛に満ちているのだ。赤月月で、どんなお便りにもコメントにも真摯に向き合って、受け止めて、優しく包み込んでくれた。その姿に僕は、強く惹かれたのだ。

 

そんな優しいゆに様だからこそ、もしかしたら理想と現実の狭間で苦しんでいたのかもしれない。責任を必要以上に感じていたのかもしれない。そう考えると、その苦しみから解き放たれて、新天地で自分らしく生きていくということを陰ながらでも応援したい。

 

 

ゆに様と出会ってからの3年間は僕の中で宝物だ。人生の過渡期の中でゆに様と出会い、その存在に救われた。ゆに様に彩ってもらって世界を、ゆに様に勇気付けられた心で、僕は明日からも生きていく。ゆに様から貰った愛と共に。これまでもこれからも、僕はずっと赤月ゆにの眷族のままだ。

活動終了したとしても、僕の中にある「赤月ゆに」という存在は決して消えることはないだろう。暗い夜を照らす月明かりのように、僕はこれから先、赤月ゆにをいつもどこかで感じ続ける。

だから、さよならは言わない。

 

 

ゆに様、本当にお疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。