雲丹とプリンと醤油
先月北海道に行ったとき、ウニを食べた。
非常に濃厚でクリーミーで旨味に溢れている、そんな感じがした。ただ、なんというか大枚をはたいてまで食べたくなるような感じではなかった。僕には合わない感じ。これはウニ側には全く責任はなく、ひとえに僕が馬鹿舌なのが悪い。
初めてウニ食べるときはせっかくなら北海道のいいやつを食べようと思っていたつもりだったんだけど、一口食べたときに「どこかで食べたことがあるな」と思った。ウニ初体験はどこかで済ましていたらしい。そして、そのときも「あんま僕には合わないな」と思った記憶が蘇ってきた。
それとは全く別件で、この間寿司を食べに行った。その寿司屋で、たまたまウニ醤油が出てきた。これは美味しかった。ウニの旨味と甘味がきれいに醤油に溶け出していて、寿司と非常に合っていた。
そんなことを今日、カップヌードル(シーフード)を食べているときにふと思い出した。そして、そこから、ある疑問にぶち当たった。
プリンに醤油をかけるとウニの味になる、というよく知られた裏技がある。実際はそんなことないという噂もある。
そして、ウニ醤油はウニと醤油を合わせたものである。つまり、プリンにかける醤油の量を増やせば、それはウニ醤油になるのではないか。
いやもっと言えば、同じくかけている醤油を抜いていった場合、プリン=ウニが成り立つのではないか。
流石にそれはない。プリンはウニではない。ただ、プリンに醤油を加えていった場合、どこかしらでウニになり、更にそこから加えていくとどこかしらでウニ醤油になる、可能性がある。
それはなくはないが、比較対象としてウニとウニ醤油を買うのは高いし、そもそもプリンに醤油をかけるのに抵抗があるので、やらない。
I will never say good-by, my love
赤月ゆにが活動を終了する。
そんな予感はしていなかったといえば嘘になる。それなりに覚悟もしていた。
それでも、いざこうして現実に起こってしまうと、悲しいし寂しいし辛い。目にした日は中々寝付けなかったし、ここ数日も上の空で過ごしていた。
執着心が極端に薄い僕にとって、ゆに様は初めて推しと呼べる存在だ。こんなに誰かに夢中になったのは生まれて初めてだし、多分この先もないだろう。そんな唯一無二の存在だ。
およそ1年半前、自分にとって赤月ゆにとはどういう存在か、ということを考えたことがある。どうして自分はこんなにもゆに様を慕っているのか。
その結論として出したのは、「僕の世界を広げてくれるから」ということだった。
我々の周りには数え切れないほど多くの物事があり、それらにはすべて意味があって歴史がある。そしてそれらは互いに関係しあい、作用しあっている。
そんな当たり前だけど見逃してしまうようなことを、ゆに様は教えてくれた。何気なく過ごす毎日の、一日一日に意味があることを教えてくれた。
ゆに様がいなければ、文庫本の紐に思いを馳せることもなかったし、モンスターエナジーのポエムも読むこともなかった。横浜観光でクイーンのひろばに行くことも無かっただろうし、パンチの効いた箱の紅茶を飲むこともなかった。
ゆに様は世界の広さを、深さを教えてくれた。それは、私が勝手に作った私の中の世界の枠組み、その小さな世界をいともたやすく壊し、未知の広大な世界の景色を見せてくれた。
これが1年半前に出した答えだった。ただ、これは完璧な答えではなかった。非常に重要で、それでいて当たり前のことを見逃していた。
ゆに様は優しいのだ。慈愛に満ちているのだ。赤月月で、どんなお便りにもコメントにも真摯に向き合って、受け止めて、優しく包み込んでくれた。その姿に僕は、強く惹かれたのだ。
そんな優しいゆに様だからこそ、もしかしたら理想と現実の狭間で苦しんでいたのかもしれない。責任を必要以上に感じていたのかもしれない。そう考えると、その苦しみから解き放たれて、新天地で自分らしく生きていくということを陰ながらでも応援したい。
ゆに様と出会ってからの3年間は僕の中で宝物だ。人生の過渡期の中でゆに様と出会い、その存在に救われた。ゆに様に彩ってもらって世界を、ゆに様に勇気付けられた心で、僕は明日からも生きていく。ゆに様から貰った愛と共に。これまでもこれからも、僕はずっと赤月ゆにの眷族のままだ。
活動終了したとしても、僕の中にある「赤月ゆに」という存在は決して消えることはないだろう。暗い夜を照らす月明かりのように、僕はこれから先、赤月ゆにをいつもどこかで感じ続ける。
だから、さよならは言わない。
ゆに様、本当にお疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。
海老天の居場所
丸亀製麺に行った。
僕は丸亀製麺に行ったら大体、ぶっかけうどん(冷)とちくわ天とかしわ天を食べる。これが基本。大学生の頃に家の近所に丸亀ができて、狂ったように通っていた頃から確立したスタイルである。
たまにぶっかけうどん(冷)が肉うどん(冷)になったり、釜玉うどんになったりするが、天ぷらがちくわとかしわという点は変わらない。ちょこちょこ丸亀製麺には行くけど、長いことちくわとかしわ以外の天ぷらを食べていない。
今日丸亀製麺に行ってメニューを眺めていると、ふと「釜揚げうどんにするか〜」という気分になった。なぜなのかは分からない。
普段は選択肢にも入ってこないし、たまたま1日に行っても平然とぶっかけうどん(冷)を食べている人間なのに、たまたま今日は釜揚げうどんの気分だった。
すごく久々に釜揚げうどんを注文して、そういえば桶がメチャクチャデカかったなとか、つけ出汁の器は小さいんだよなとか思いながら、天ぷらコーナーへ進んだ。
そこでいつものようにちくわ天とかしわ天を取ったあと、ごく自然に海老天を取っていた。まるでそれが普段通りかのように海老天を取っていた。
つけ出汁と海老天。この2つを切り離すことができないという強烈な刷り込みが、普段と全く違う行為をさも当たり前のように行わせていた。
つけ出汁の隣には、海老天がよく似合うし、海老天の隣にあって一番しっくり来るのがつけ出汁だ。それが蕎麦であれうどんであれ、二つで一つ、セットなのだ。
ちなみに、海老天を食べるときは先に尻尾から食べます。
自堕落不足
「面倒事は土曜日に済ませろ」というのが我が家の家訓だ。ちなみに世帯主は僕です。同居人はいません。配偶者もいません。
2日しかない週末のうち、日曜日は翌日からまた仕事という悲壮感が漂っているので、そこでやらなきゃいけないことをすると、非常にもったいない感じがしてしまう。義務感で動いているような感じ。
だから、面倒事は土曜にした方がいい。土曜日はまだ休みの全能感に満ち溢れている上に、やらなきゃいけない事をやったという満足感を得られる。
さてそんな土曜日だけど、9月はほとんどが埋まっていた。土曜出勤があったり、旅行したり帰省したりと9/2以外が全埋まり。なんだかんだ日曜日も家にいないことが多かったし、休みの日にしたい雑務が溜まっていた。
その雑務を昨日全部やった。車を車検に出し、日用品の買い出しをし、足りなかった家具を買い、部屋の掃除をし、風呂とトイレの掃除もし、クローゼットの整理までした。
これにより、ほぼ1ヶ月間週末を何かしらして過ごしたことになる。9/9から昨日の土曜日まで、何かしらで動き回っていたことになる。
別にそれが嫌だったわけではない。土曜出勤はともかく、旅行や帰省は楽しかったし、部屋をきれいにするのもまあ悪くはない。
ただ、僕は根が自堕落な性格なので、こうなると深刻な自堕落不足になる。家でなんの予定もなくゴロゴロしてぇ〜となる。なのですることにした。
今日はもうなんの予定も入れずにゴロゴロするぞと決め、した。好きな時間まで寝て、ご飯を食べて、スマホしたりテレビ見たりして、眠くなったら寝て、起きて、ご飯食べて、スマホしたりした。これだよこれ。夜になったら「何もしてねえじゃん」と後悔する休みを過ごしたかったんだよ。
寝てるとき以外はほぼ画面を見ていたので頭が痛い。この気怠さだよ、俺が求めていたのは。
腹九分目
昨日の続き。
2日目は午前中に小樽を散策していた。夜の小樽も良かったけど、朝の小樽もいい。つまり小樽はいい。
その後、札幌に戻って、
大志を抱くなどした。
羊ケ丘展望台は何もなかった。いや、ちょっとした展示とか売店とかはあったけど、あとはクラーク博士が大志を抱いているだけだった。
その何もなさが良かった。非常にのんびりしていて牧歌的。広大な野原が広がっている光景が北海道っぽいな〜と思っていた。
あと、その名に恥じないように羊がいた。
羊が一心不乱に草を食べていた。のどかでいいなあと思いながら眺めていた。
羊を見て気分を高めたので、その日の夜はジンギスカンを食べた。
ビールなんて一滴も飲めないのにサッポロビール園に行き、家族連れやカップル、友人同士がわんさかいる中一人で四人がけのテーブルに座って食べた。予約していったらそこのテーブルに通されたので、僕は悪くない。
ジンギスカンは美味しかった。色々なジンギスカンに他のメニューも加えた食べ放題のコースにしたんだけど、ノーマルなジンギスカンに加えて、味付きのジンギスカンを食べられて大満足だった。
ただ、主だったメニューを一周したところで、大分満腹になってしまった。頑張ればもう少し食べられるような気もしたけど、そこで頑張ることに意味がないということにやっと気がついた。
少し前までは頑張って食べて、後で気持ち悪くなっていた。腹十二分目くらいまで詰め込んでしまっていた。しかしついに、腹九分目で抑えるということを学んだ。
食べ放題の残り時間が55分位あって、店員さんにも「まだ時間残ってますよ?」と驚かれたけど、潔く店を出た。非常に満足したので、無問題だった。
ただ、今考えたらもう一皿くらいは食べても良かったかなと思わなくもない。
夜の観光地
北海道から帰ってきて2日経った。
非常に良かった。もう明日にでもまた行きたい。今度は函館とか行きたいし、知床にも行きたい。他にも色々と行きたい。北海道はすごい。
行っている最中は色々と動き回って疲れ切っていたし、昨日は昨日で金曜日に有給をとったせいか忙しかったので、今更振り返ってみる。
初日はまず札幌付近をウロウロしていた。
赤レンガ庁舎を見たり、
時計台を見たりした。
初手からがっかりスポットを連続で引いてしまった。いや、いうほどがっかりではなかったけど。赤レンガ庁舎は思いっきり工事中なだけだし、時計台は周りにデカい建物が多いだけで中は見応えあったし。
これは文句なしにきれい。夕日があたっているのもいい。
その後、小樽に移動した。この小樽が最高だった。
着いたのが結構遅い時間だったんだけど、そのまま小樽運河に行った。夜の小樽運河は非常に良い。なんというか、クラシックでレトロでロマンな感じがする。
いい。
すごくいい。
夜の観光地というのはすごくいい。人気が少ないし、静かで幻想的。
きりがいいので続きはまた別の日記にします。
華麗なる伏線回収
伏線というものがある。ちゃんときれいに回収されると気持ちがいい。様々な作品に伏線は張られていて、どのようなものが正式な意味での伏線なのか分からないけど、簡単に言えば以前に撒いた要素を回収するもの、になるんだろうか。
僕も一つ、この日記で伏線を張っておいた。日記に伏線もクソもないんだけど、結果的にそういう形になってしまったので仕方がない。
今年の5月に『JR全部乗る』という日記を書いた。
これ。
1月の九州への旅行に始まり、2月の関東出張、4月の岡山出張、5月の東海旅行という非常に効率よくJR各社を回収できていたことから書いたものだったが、正確にはこのタイトルは間違っていた。
東日本・東海・西日本・四国・九州は確かに乗っていたが、一つだけグチャグチャっとなったところがある。それはもちろん、北海道だ。
なんで北海道に行っていないのにこんな日記を書いたのか。それはつまり、
こういうことだ。
この日記は今年中に北海道に行くという伏線、未来の自分へのロングパスだったのだ。行きの飛行機の中で気が付いたんだけど、つまりはそういうことだったのだ。
というわけで、北海道に来ました。およそ17年ぶりです。17年?2006年が17年前ってことですか?そんなわけないですよね。こわ。