狂っていたのはあいつか世界か

今日の15時半くらいに、とある時計を見かけた。その時計は電波式でアナログの壁掛け時計で、ご丁寧に「時刻がピッタリ合う!電波式時計!」みたいなシールが貼られたままだった。時刻は2時5分を示していた。

最初見たときは盛大なギャグかな?と思った。時刻がピッタリ合うというシールをわざわざ貼るという手のこんだ前フリに対しての、壮大にズレるというギャグ。中々に高度なギャグだと思った。

ただ、それに対して僕以外誰も反応していなかったし、誰もツッコもうともしていなかった。多分あれは作為的ではなく自然になっているんだろうとは思った。

ならなぜ時刻がズレていたのか。まあまず考えられるのが電池切れだろう。ただ、その時計は1時間25分ほど遅れてちゃんと時を刻んでいた。ちゃんと作動はしていた。

作動していたとなると、今度は電波を受信していないのは変だ。時刻がピッタリ合う!と謳っているのなら、自動で修正していないのはおかしい。もしかすると電波を受信する部分が故障していたのかもしれないし、電波の入りにくいところだったのかもしれない。そんなところに電波式時計を掛けるなとは言いたくなるが。

そもそも、1時間以上も時計がズレているのがまずおかしい。数分のズレならば、まあいっかと放っておくことはあり得る。ちょっと早めの行動を心がけるために、数分早めておくというのもたまに聞く話だ。ただ1時間以上もズレているとなると、もう時計としての機能を果たしていない。無用の置物でしかない。掛け時計なので置物ですらない。誰もその時計を見ていないし、時計としての機能になんの期待もしていない。そんな悲しい話がありますか。

と、ここまで僕が見た時計の時刻が狂っている前提で話してきた。しかし、その前提がまずおかしいという可能性がある。つまり、あの時計の指し示していた時刻こそが正しいという可能性。

確かに、あのとき僕が見た腕時計は15時半過ぎを示していたし、ちょっと前に「15時とっくに過ぎてましたね」みたいな話をしたし、15時のチャイムも聞いた。しかし、それをもってその時の時刻が15時半を過ぎていたとは証明できない。腕時計と話し相手の時計と無線の時計が奇跡的に同時に狂っていたのかもしれない。あの時点で、正確な時刻を入手する方法を僕は持っていなかった。

いや、もしかすると今も正確な時刻なんて手にしていないかもしれない。そもそも正確な時刻ってなんだ。誰が決めているんだ。そしてそれはどうやってここまで伝わっているんだ。もうわからない。もしかしたら僕は1時間25分後の世界を生きているのかもしれない。いや、世界中が1時間25分後の世界を生きていて、あの時計だけが正しい時を刻んでいるのかもしれない。