終わらせる勇気

何かを始めるより何かを終える方が勇気が必要だと思っている。なんというか、始めるって何かをプラスに持っていくような作業な感じで、終わるってそれがプラスであれマイナスであれゼロに持っていく作業のようなイメージなのかもしれない。ある意味では敗戦処理って感じがする。

終えるときって結構次に何かすることを決意している場合が多くて、やめる勇気を出すときは一緒に始める勇気も出さなきゃいけないから、終える方がしんどいと思うのかもしれない。

あと、やめたいことをしているときに例えば体力なり精神力なりが毎日5ずつ減っていくとすると、終わらせるときには100くらい必要なんですよね。単純計算で20日はそのままでいる方がいいんですよ。そんな簡単な話では断じてないんだけど。20日目で終わらせたとしても200持っていかれるので早い方がいいとは分かってるんだけど。ケリをつけるのを先延ばしにしてしまう。

加えて、僕が人の評価を気にし過ぎる性格をしているからなのか、できるだけ後腐れない綺麗な終わり方をしたい。終わりよければすべてよしってわけではないけど、綺麗な畳み方が好きなので、終わらせ方にも苦労する。

 

そんな僕が今終わらせたいことが一つあって、それは別に仕事とか人生とかそんなたいそれたものじゃない。僕が赤月月にお便りを送るときにほぼ毎回付けている「〜でお馴染みの」の部分だ。

やめてぇ〜。毎回お便り書くときにあそこの部分で結構頭悩ませるしとっととやめてぇ〜。そもそもラジオとかそういう場でパーソナリティ以外のリスナーにキャラ付けされるのそんなに好きじゃないんですよ。結局内輪感に繋がっちゃうので。なるべくその日初めて聞いた人でも内容が分かるお便りを書いていきたいんですよ。書けてないけど。あくまで、僕がそういう風になるのが嫌なだけで他のリスナーがそうなるのはいいし僕もそういうノリには乗っかっていくこともある。

元々「お馴染みの」のやつもある意味では内輪感への抵抗というか、だれも知らないことをお馴染みとすることで僕以外がなんだそれという感覚を共有する内輪になれればいいなという狙いがちょっとはあった。それが段々こいつはだれも知らないことをお馴染みと書く奴という認識が出来上がったらそれはまた別の内輪感に繋がっちゃうじゃないですか。それは本当に嫌なので一刻も早くやめたい。でも「誰もそんなお前の書いたことなんて覚えてねえよ」って言う感覚もあるしもう何がなんだか分かんねぇ〜。自己評価高すぎゴミゴミマンだ〜。

 

で、誰もやってくれなんて言ってないしさっさとやめればいいんだけど、僕は終わり方にもこだわりたい面倒くさいタイプなのでなかなかやめられない。ぬるっとフェードアウトできない。なんか終わりにふさわしいやつをとっとと思いついてキレイに締めたい。いや、お便りに締め方もクソもあるか。人(吸血鬼)の土俵で自分のエゴを全面に押し出すな。そもそもこんなことを全世界に公開してどうしたいんだ。この自己評価高すぎゴミゴミマンめ。