逃げたい現実をくれ

前回の日記で文章を書くときに足しまくってしまうことを書いたけど、それ以上の問題を今抱えている。

 僕は何かを書くときにまず軸となるものを思いついてからそこに加えていくという考え方をすることが多い。昔テレビで見たバウムクーヘンみたいな作り方だ。その軸が最近はなんかこう上手く思い浮かばない。

形の悪い芯に生地を重ねていっても歪なバウムクーヘンが出来上がるように、満足のいく文が書けない。なんかこう空回っているような感じになってしまう。

この感覚を抱き始めたのは7月くらいで、10月くらいからかなり顕著になっていった。逆に2〜6月はそんな考えを思いもしなかった。

で、なんでそんなことになったんかなと考えていたんだけど、多分2〜6月の時期は人生の一大イベントが目白押しだったのだ。大学の卒業に就職、研修、配属とかなり目まぐるしい現実が押し寄せてきていた。不安や不満を常に抱えて生きていた。

その現実から逃れたいという思考の捌け口が赤月月へのお便りだったのではないかと思う。鬼気迫るというのは言い過ぎかもしれないけど、何か現実とは全く異なることを考えていないと精神が持たなかったのかもしれない。

そして今、仕事にもまあ少しは慣れてきたし生活も幾分かは安定してきた。不安や不満がないと言えば嘘になるが、すごくぼんやりとしていて抽象的なものか、まあなんとかなるだろうというものしかない。

だからこそ、お便りの核となるアイデアにいいものが思い浮かびづらくなってしまったのかもしれない。非常に贅沢な悩みかもしれない。現実の生活が上手く行ってればそれでいいのかもしれない。でも赤月月だって現実の拡張の中にあるんだ。なんだか上手く行かないなあと考えてしまう夜もある。