春風に誘われて

分厚いダウンジャケットを洗濯した。

布団の数が一枚減った。

スーパーの鍋コーナーが大幅に縮小した。

 

外気に厳しさを感じなくなった。気がつくともう春だ。気温的には非常に過ごしやすい季節になってきたけれど、僕の心は晴れない。むしろ一年で一番心がざわつく時期だ。心臓を直に撫で回されているかのような言い知れぬ不安を抱いてしまう。

春は出会いと別れの季節だ。新生活の季節でもある。言い換えれば、変化の季節だ。僕は変化が嫌なのかもしれない。ずっとぬるま湯に浸かったままでいたいのかもしれない。もちろん、どんなタイミングであれ誰しもが、それが良い方向か悪い方向かは問わず変化し続けている。昨日と今日で比べても何かしらの変化はしている。でも、春はその変化の幅が大きすぎる。

まず、春には必ず別れがある。卒業、進学、就職などなど、誰かと離れ離れになるのは春が多い。卒業式の帰り道、引っ越しの手伝いに来てくれた親が帰ったあとの一人暮らしの家、壮絶な孤独感が胸に刻み込まれている。たとえ自分が当事者じゃないとしても、先輩なり知人なり誰かがいたはずのところからいなくなる。

そして、別れと同じくして出会いがある。これは対極のものとして語られることが多い気がする。別れがあるからこそ新たな出会いがある、マイナスの別れとプラスの出会いのような。でも僕の中ではそんなにキラキラしたものではない。

もちろん、誰かと知り合って仲を深めるのは楽しいし素晴らしいことだとは思っている。ただ、それにはすごい体力と気力を使う。知り合いのいない新しいクラス、自分のことを知っている人が誰一人いない街での新生活、率直に言えば辛い。そこですぐに周りに溶け込めるほどに器用ではなかったし、一人で生きていくと覚悟するほどには強くはなかった。どうやってそれなりの人間関係を築くことができたのかは覚えてないし思い出したくもない。ただ毎日孤独と寂しさと闘っていたし、それを何度も乗り越えた自分はすごいと思う。

春になって新しくなるのは人間関係だけじゃない。やることも変わる。進学・進級すれば勉強内容も変わるし、就職すれば社会人として仕事をすることになる。なんというか、生活の難易度が上がる。そこに待っているのは絶望感だ。新しいことにワクワクできるほどに人間ができていない。これができるようにならないといけない、そしてこれを今後もずっと続けていかないといけないという絶望感。高1で青チャートを見たときと、入社二週目くらいのときに抱いた絶望感は今でも忘れない。

春はキャパオーバーなのだ。大きな変化が多すぎて受け入れられない。それをなんとか処理していくうちに季節は次へと移り変わっていく。

春は嫌いだ。辛さしかなかった季節だから。春風に誘われて、今日も言い知れぬ不安が襲ってくる。