正当化の論理

何をするにしても、道理にかなったことをしたいものだ。周りから見たら間違っていると思われる行動であっても、せめて自分の中でだけは正しいという筋を通していたい。

だから、行動をどうにかして正当化できる論理を探している。

若干固い導入になってしまったけど、この正当化の論理は、実はガバガバだったりする。だってその論理の正当性までは求めていないから。とりあえず、それっぽいこと言っておけばなんとかなるということもよくある。

 

僕は今、お腹が空いている。牛丼屋とかに行きたい。でも、この時間にご飯を食べるのは一般的に考えて良くない。ギルティ。

この牛丼屋に行くという行為をどうにかして正当化してみよう。ぱっと考えて3通りくらい出てくる。

まず、今日は朝起きるのが遅かったので、まだ2食しか食べていない。1食目を朝食、2食目を昼食と捉えるならば、まだ夕食は食べていないことになる。健康的な生活を送るには、1日3食ちゃんと食べましょうと学校で習った気がするので、あと1食を食べなければいけない。なので、牛丼屋に行くのは正しい。

また、今冷蔵庫に卵が1個だけ余っている。賞味期限まであと3日だ。早目に処理しなきゃいけない。しかし、卵1個だけを使うメニューをあと3日以内に食べたくなるかは怪しい。だが、牛丼をテイクアウトしてくれば、そこにトッピングして綺麗に使い切ることができる。明後日のゴミの日に捨てることもできる。なので、牛丼屋に行くのは正しい。

あるいは今日の2食目、上で昼食と定義したものを食べた時間が少し早かった。17時半くらいだった。普通に生活していると、まあ5-6時間経つとお腹が空いてくる。つまり、生理的に普通のことである。空腹というシグナルを受け取った以上、なにかしらの対処は講じなければいけない。なので、牛丼屋に行くのは正しい。

 

こんな感じで、自分の中で正当化できた。これで、そもそもこんな時間に食うなという正論に対しての盾とすることができる。その盾がいくらペラペラで脆弱でも、一瞬くらいは耐えてくれる。その一瞬の隙を突いて、僕は牛丼屋に行くことができる。